端午の節句 5月のイベント・行事

Share on Facebook

子どもの日 端午の節句

5月5日は端午の節句。「菖蒲〔しょうぶ〕の節句」とも言われています。日本では平安時代にはじまり、強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒につるし菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。やがてこの行事が宮中から鎌倉の武家社会へと拡がります。武士は菖蒲を「尚武=武をたっとっぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになりました。江戸時代に入ると、5月5日に大名や旗本が式服でお祝い品などを携え、江戸城に登城するようになります。また武家に男の子ができたら玄関の前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝う風習も誕生しました。そしてこの風習が庶民の間へと拡がっていきました。、幟旗を立てることは許されていなかったので代わりに盛んに鯉のぼりをあげるようになります。鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかけるという中国の故事に由来し、鯉のぼりはわが家に男児が誕生したと天の神に告げ「この子を守ってやって下さい」と守護を願う目印なのです。
さらに端午の節句は、鯉のぼりだけでなく紙の兜や人形を作るようになり、武者人形などに発展していきました。


《 端午の節句の祝い方 》

・内飾りとして部屋に五月人形 (鎧兜、 武者人形)を飾ります。
・外飾りとして外に鯉のぼりをあげます。
・魔除けの力があるとされている菖蒲を軒先につるし菖蒲湯に入ります。

《 端午の節句のお菓子 》

【柏餅】

江戸時代から端午の節句に柏餅を食べる習慣があります。
新しい芽が出るまでは、古い葉が落ちない柏の木。「家系が絶えない」子孫繁栄を願うという気持ちを込め柏の葉で包んだ餅を食べるようになったようです。

【ちまき】
中国から伝わったものです。紀元前278年、楚(そ)の国の高名な詩人、屈原は国王の側近としてつかえ、人々からも慕われていました。しかし陰謀のため国を追われることになり、ついに川に身を投げてしまったのです。その日が5月5日。悲しんだ人々は、たくさんのちまきを川に投げ入れて弔いました。月日が流れ、ある日、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。
そして幽霊は「毎年供物を捧げてくれてありがとう。ただ、残念なことに私の手許に届く前に悪龍に盗まれてしまいます。だから龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい。」 言いました。
それ以来、楝樹の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流したので、無事に屈原の元へ供物が届いたのでした。これがちまきの始まりと言われています。
そして中国では5月5日の節句には、節物としてちまきを作り、親戚や知人に配るという風習が生まれました。この風習が日本の伝わったものです。


五月人形・こいのぼり特集【トイザらス・ベビーザらス】


>>  五月人形をamazon で探す
>>  五月人形を楽天市場 で探す

矢印こどもと楽しむアニバーサリー TOPへ



にほんブログ村 子育て情報

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">

Spam Protection by WP-SpamFree